私が、株式会社なか卯の店舗営業職においてやる気が思うようにでず、やる気がわかなくて悩んでいたきっかけは以下のようなものでした。

当時私は横浜の関内エリアに勤務していました。マネージャーとして毎日朝から深夜まで働いていましたが、最大の悩みは働いているアルバイトの人の数が少なすぎることでした。

各店舗に十分な人の数がおらず、またエリア内に6店舗もあり 正社員がまだまだ新米であった私を含めて3人しか常駐していなかったのです。

このために、我が社の用語で「回転」と呼ばれる24時間継続勤務を週に2,3回は行っておりました。

人出がとにかく足りないために、足りないところには他の地域から一時的に借り受ける形で、それでも足りないところは人数が足りなくても「気合いで耐えて!」という異常な指示を飛ばされました。

自らの担当店舗では寝る場所も、メシを食べる場所も仕事をする場所も全て店舗内という非常に苦しい勤務をしていました。

毎日、朝7時には遅くても出勤しその日の営業を行いながら空いた5分10分で店の売り上げを計算して業務日報を作り上げ、その間にもお客様の流れが来たらこれを処理して、隙間時間で昼食を食べてまた営業に戻っていくという流れを繰り返していました。

幸いなことに残業代は出たために、一時期は手取りで40万を超える給与をもらっていた時もありましたが、私の願いはお金は一部返上してもいいから休みの日を下さい、という悲惨な状況でした。

ある日、このような状況で勤務を続けていたところ不注意で熱湯に手を思い切り入れてしまい、大やけどをしてしまいました。

しかし、その時も自分一人で勤務しており交代要員がいなかったために、やむなく次の交代要員が到着するまで2時間、片手で勤務を続け交代が来たと同時に救急車を呼んで手当てを受けました。

この時に、もはやこのまま続けていたらいつか油に手を入れて、片手を失うだろうということをリアルに想像してしまい数日後に辞職する決断をしました。

まだ、当時は20代中盤であったため親にも新卒で入った会社を辞めることになるので相談しましたが、親は大賛成でしばらく生活の面倒ならみるからすぐに帰って来いと、諭されました。

 初めて家に帰ってベッドに寝ると、寝始めてから14時間が経過していました。この時に私はどれほど体が疲れており、過労死寸前の状況であったのかということを実感することができました。

まともな時間に床に就き、朝に起きるというごく当たり前の生活がどれほど大切だったのかということを改めて身にしみて感じる結果となりました。

私がこの経験から学んだことは、やる気が起きない理由が明確になっており、それが改善する見込みがないと体感できるときには仕事を辞めることも選択の一つになりえると言うことです。

もちろん、私の体験は少しばかり極端な例に入るかと思われます。

しかしそれでも今やられておられる仕事に対して未来の展望が描けない場合、自分の今の状況が危機的状況にあるような状態では仕事を辞めて療養の後に、新たな仕事を探して転職活動をすることが自分の未来を救うことになります。

世間では、途中で辞めたやつは根性のない使えないやつだ、などといった心のない言葉を述べてくる輩もいますが、それに耐えたところで未来が保証されているということは一切ありません。

そういった場合には逃げることは恥ではなく、自分を防衛するための立派な手段の一つであることを忘れないで頂きたいと強く思っております。

今やられているお仕事を継続するか、辞めるかという決断を下すのは最終的には御自身に他なりませんが、あなたの周りにいる人から「辞めたほうがいい」などという忠告を受けた場合には、特によく一度考えてから結論をだすとよいでしょう。