私は地元にある、中小のとある金型メーカーに10年間おりました。

私はそこで、プラスチック射出成形技能士として、出来上がった金型を実際に射出成形機に取り付け、そして成形して、お客さんの要求通りのプラスチック製品ができているかどうかの検査まで行っていました。

仕事自体は好きではありましたが、社内で捌けるキャパシティ以上に仕事を取ってくる営業と、スケジュール管理ができない無能な上司と、それから社員をできるだけ長く拘束して、監視下に置いておきたい社長のために、毎晩午前様、土曜日も毎週休日出勤、おかげで日曜日は何もできずグッタリという有り様でした。

社長は、社員が連日の激務で疲弊してきたと思ったら、稀にガス抜きのために1週間程度、全社員を早めに(といっても20時ごろに)上がらせたり、または土曜日に休ませたりすることはありました。

また、新しい機械を導入したり、一部工程を外注に出すようになったりしたタイミングで、「これからはもっと楽になるので、みんなも早く上がれる」などと希望を持たせることもありましたが、ほとぼりが冷めるころには、連日夜遅くまで拘束された毎日は、変わることがありませんでした。

結局、社長の「早く帰らせる詐欺」に付き合わされるだけで、自分のやりたいことができる自由な時間もなく、ただ会社のために身も心も捧げなければならない毎日に、仕事に対する楽しさは打ち消され、嫌気がさしておりました。

家にはただ、風呂に入って食事をして寝るためだけに帰ってきて、自分の時間すら持てないことへの悩みですが、その会社に在籍していた当時は、正直、諦めるより他はありませんでした。

私は、この会社に入るまでは、寮やアパートで一人暮らしをしながら職を転々として、両親からはさんざん無能のレッテルを貼られておりました。

けれども心機一転、親に私の意地と粘りを見せたかったこともあって、手に職をつけることのできる仕事内容で、実家から通うことのできるこの会社を選びました。

そのため、続けることができた一番の要因には、「一つのところに長く居続けて、手に職をつけるんだ」という意地がありました。

また幸運にも、一緒に働いている平社員同士は、先輩後輩問わず仲が良く、土曜日の晩は、みんなで一緒に居酒屋で飲みながら、お互いに愚痴を言い合って発散することができたことも、私が頑張り通すことができた要因でもあります。

「自分の時間を作る」という根本的な解決は、結局リーマンショックまで待つことになりました。

根性主義ではありますが、私自身、この会社を辞めるときは「自己都合退職ではなく、会社都合退職で辞めてやる」という気概を持っていました。

それがさんざん社会で負け続けた私にとっての「勝ち」だと思っておりました。

リーマンショックの際、仕事が激減して人員削減することになり、私を含めて大多数の社員が解雇され、それからようやく自分の時間を持てるようになり、やりたいことにも取り組めるようになりました。

仕事は基本的には生きるために行わなければならないものだと思っております。

そのため、100パーセント楽しくないことは当然だと思いますが、私も若いころ職を転々としていた原因は、ハッキリ言って仕事が楽しくなかったからでした。

新卒時代に会社の冷たさ、人の冷たさを分からされて、それがトラウマになり、自分の居心地の良い場所を求めてずっと自分探しをしていました。

けれども、自分の求める居場所は見つけられませんでした。

これまでを振り返って私は、以下のことを痛感しています。

まず、一生のうちにどんなに辛いときでも、どこかで踏ん張らなければならないときがあり、その中で、自ら居心地の良い環境を作る努力をしていかなければならないことです。

快適な環境は、自らが努力してこそ近づけられるものであり、努力なしに他者にそれを求めようとしても、誰もお膳立てをしてはくれない、ということです。

仕事は「楽しい」「楽しくない」で考えず、まずは今いる職場の人間関係が良好かどうかで考えるべきだと思います。

人間関係が悪いだけで、どんな仕事も全て嫌気がさしてしまいますので、そんな職場でしたら、とっとと辞めてしまいましょう。

人間関係が良い職場でしたら、その他面白くないことがあっても、職場の仲間たちとともに頑張りましょう!

そこで何かスキルも身につけてしまいましょう。

そして「ここまで到達したら辞める」という目標を掲げて、辛くても頑張ってみましょう。

頑張り抜いて辞めることができれば、スキルやノウハウだけでなく、辞めてからもお互いに助け合うことのできる、かけがえのない仲間たちも得ることができるでしょう。