大学を卒業し、希望であった電子デバイスのメーカーに入社する事が出来ました。会社では事業部制を採っており、その1つの事業部の技術部門に配属になりました。

先輩の指導を受けつつ、当時事業を支えていた商品の設計開発業務に邁進していきました。

そうして10年ほど経て、主任職になり激変する業界の中で、新たな画期的商品の研究開発の為に、後輩と2人で会社の研究所に派遣される事になりました。

研究所に派遣されるメンバーに選抜された事は、上司からそれなりに評価されているのだと言う喜びと共に、与えられた着眼点に沿って、新たな要素技術を研究所から得ながら、その新製品の可能性を検証する事に、大きの希望を抱いたものです。

期間は、一応2年間と言う事で、希望に胸を膨らませ、研究所での仕事に取り組みをスタートさせました。

しかし、その与えられた着眼点の新製品の実現の可能性は、ほぼ絶望的である事は、半年ほどの研究開発で、明確になってしまいました。

ある着眼点・アイディアで所望の性能を実現する可能性は、NGである事は結構短時間で明確になる事も少なくありません。

ある期間の研究で可能性があれば、実現に向けて研究開発を継続し、次のステップへと移行すると言った方法を取ります。

またあるアイディア・着眼点での具現化が困難なら、他のアイディアを捻出し、そちらに舵を切るのが一般的な方法です。

研究所で、その実現の可能性が絶望的であることを上司に伝え、その着眼点を捨て、新たなアイディアを捻出して再スタートを切るべきだと具申しました。

しかし、いくらデーターを示して不可能な事を説明しても、その上司は、単にまだ道はあるはずとして、方向転換する事を拒み続けたのです。

派遣先の研究所の室長からも上司に同様の説明を何度もしてもらいましたが、結果的には無視し続け、私達を研究所に預けっぱなしで、放置されると言う状態が続きました。

これには、さすがに落ち込むと共に、会社に行って可能性のない無駄な実験を繰り返す事がバカバカしく、こうした扱いをする上司に対する腹立たしさが、いつしか会社に対する不信感にまで拡大し、会社を辞めたいと思うようになりました。

悶々とした思いで、さらに半年が経ち、派遣されて1年経過した頃、その想いは頂点に達しました。

事業部の職場に顔を出し、信頼できる先輩に相談したり、研究所の先輩等にも色々と相談しましたが、解決手段は見つかりませんでした。

その上司は、結構強圧的なタイプに人で、誰もが敬遠し、その上司にややこしい話で関わりたくないと言う想いが見え、さらにサラリーマンの悲哀を感じ、会社に対する絶望感が募りました。

しかし、こうした会社を辞めたいと言う私の想いを押し止めた要素が2つありました。

1つは、ある先輩に言われた、上司はいつまでもお前の上司であり続ける事はないと言う言葉です。

そしてもう1つは、もし私が会社を辞めれば、一緒に派遣されている後輩が今度は悩み、私と同じ様に辞める事となるかも知れず、それは避けてやりたいと言う想いでした。

そこで私は開き直って、残された派遣期間の1年間で、事業部では保有していない要素技術で、研究所が保有している要素技術を少しでも多く習得する事につぎ込んでやろうと思いました。

その事が、将来いつか事業部の製品開発に役立つ可能性がある点と、自分が多くの部下を持つ立場になった時、あの無能で権威のみの上司の様な技術マネージャーにならないために役立つと考えたからです。

この考えを受け入れ先の研究所の室長に話すと、賛同してもらえ、色々と便宜も払ってもらえました。

こうして割り切って、方向転換して日々を過ごし、さらに8か月ほど経過した時、上司は別の事業部の営業部門の異動となりました。

新たな上司に逐次経過を報告し、取得途中の要素技術に切がついいた時、事業部の技術部門に戻り、新たな開発テーマを与えられ、再スタートを切りました。

以上の様に、サラリーマンにとって、厳しい仕事や長時間労働も辞めたいと言う想いにさせられますが、する事がなく、その状況を変えられない事も非常に辛くて苦しいものです。

しかし、こうした辞めたい理由となっている要因が、会社全体の体質の場合には、辞めざるを得ないでしょうが、その要因が上司のパーソナリティーから来ている場合には、ある程度我慢して状況の変化を待つ事が必要だと言う教訓を得ました。

先にもある先輩の言葉として書いた様に、上司はいつまでも部下の上司であり続けるものでなく、異動で上司が変わる事は当たり前の様にある事で、それまで我慢する事も必要だと言う事です。