24年前、私は英語を使う仕事をしたいと願ってきた結果、縁あって中学校の英語教師として仕事を始めました。
私の場合、教師としての仕事というよりも、英語を使って仕事をしたいという気持ちが強くありました。
そのせいか、実際に働き始めるとすぐに、自分のやりたい仕事よりも、その他の仕事のほうが多いことに気づき、ギャップに戸惑うようになってきました。
ただただ英語の授業をしていればいいのではなく、生徒指導、部活動、行事の運営、校務分掌等の多岐にわたる仕事内容に、正直能力不足を感じることが多く、教員になったことを後悔し始めました。
周りを見ると、どんな仕事もオールマイティにこなす教員ばかり。それにひきかえ私は・・・。というふうに、どんどん自身を失っていきました。
ただ、それなりに努力をし、採用試験に合格して手に入れた教員という仕事。安定した収入も魅力。
社会的地位も高く、両親も喜んでくれる。自分に向いていないと思う反面、なんとか続けていく方法や考え方を模索しながら教員を続けてきました。
まず、他の教員を見渡して、いわゆる仕事のできない教員を見て、彼でも頑張って続けているのだから、私も頑張ろうを自分を励ましました。
また、部活動に関しては、小さい学校では、その競技が専門であろうがなかろうが、顧問として担当することになるのですが、年齢を重ねるうちに、少し図々しくなっていき、指導者がきちんといる部活動を担当させていただくよう談判したりということをするようになりました。
若いうちは、それができないことも多かったのですが。生徒指導に関しては、経験を重ねるごとに改善されていきましたが、これは相変わらず苦手な分野でした。
先輩の指導を見て指導技術を学ぶ努力はしました。授業に関しても、学校によっては生徒との相性が悪く、上手くいかない時期もありました。
その当時は保護者からもクレームをつけられ、辞めさせられないかと校長室に保護者が談判に来るということもありました。
悩みましたが、離島に転勤になったのをきっかけに、この悩みは自然解決となりました。
ただ、離島勤務が始まってからは、新しい悩みも始まりました。
それまでの15年間の教員生活で学んできたことや経験が全く役に立たなかったのです。離島での仕事は、これまでのやり方を覆すほどの違いがあり、保守的でした。
ここで、また教員を辞めたいと深刻に悩むようになりました。
離島勤務の4年間、プライベートでも様々な苦悩があり、苦しい時期ではありましたが、やはり同僚に励まされてなんとか離島勤務を終えて帰ってきました。
さて、厳しい離島勤務を終えて地元に帰ってきた後感じたのは、以前より教員として勤務していた頃より楽に仕事ができているという事です。
悩みながらも、なんとか教員として頑張ってきたことで、自分なりに成長して帰ってきたのではないかと感じました。
悩みながらもなんとか教員の仕事を続けてきたことは、何ひとつ無駄ではなかったのだと感じました。
しかしながら、40歳を過ぎ、様々な仕事を任せられ、その仕事はできませんとは言えない年代になってきた時、再び退職すべきと考えるようになりました。
離島から地元に帰ってきて2年を過ごした後、ついに退職を決めました。その大きな理由の一つは、もう十分教員として頑張ったということ。
もう一つは、他にやりたい仕事を見つけたことです。現在は、教員時代の経験も活かしつつ新しいことにチャレンジしています。
現在、教員の仕事を辞めたいと悩んでいる方々がいらっしゃると思います。理由は様々だと思いますが、それぞれに教員を目指して、努力をして得たお仕事であろうかと思います。
私も悩みながらも、解決の方法を模索しながら21年という長い間、教員の仕事を続けてきました。
そのおかげで少しばかり人間として成長もできたのではないかと思います。
ですから、みなさんも決して結論を急がず、可能な限り、様々な解決法を模索しながら是非続けていただきたいと思います。
後々自分自身の財産になる経験となることは間違いありません。
そして、いつか別の生きる道を見つけたら、その時にまた考えて結論を出しても遅くはないでしょう。
ピンチはチャンスです。頑張ってください。