若い頃には体力もありましたし体を動かす事が好きだったので、デスクワークよりは自分の体を生かせる仕事に就きたいと思い、大手私鉄の保線作業員の職に就きました。

趣味で鉄道が好きだった事もあり鉄道に関われると思い嬉しかったのですが、実際に働いて見ますと夢と現実は全く違っていました。

駅員でもありませんでしたし、営業業務でも無かったので、現場に出て作業している事が殆どでした。業務内容の内訳ですが、日々安全に気をつけて鉄道を走らせるのが仕事です。

炎天下の中ピッケルで地盤を掘り起こしながら砂利を敷き詰め、重い砂を運んだり砂利を整地したりもしましたし本当にハードでした。

また、出勤時間が決まっていないことが多く、不規則な勤務を求められていました。基本、電車が走っている時には仕事が出来ない区間がありますので、列車の運行が止まる、夜中の12時から作業をするという事も頻繁にありました。

休みの日でも不都合が発生しますと緊急を要する事が多く、一刻も早く整備を求められますので、急遽現場に集合と言う事も多々ありました。

大抵の場合、電話が掛かってきて、今から直ぐに集合と言われることが多かったのですが、休みで地方に出かけていて、どうしても行けない時は、逆に嫌味を言われたりする事もありました。

現場はチームワークで運営をされており、いつ何時でも困った時は協力をすると言う、暗黙の了解で絆が出来ていました。

決まった時間に出社をして定時に帰れる仕事ではありませんでしたので、フレックスタイムに近い業務体系でした。

疲れも溜まっていたのですが、休む事もあまり出来ないので体にガタが来る事が多く、負担を掛けてしまった体に無理がたたり腰を痛めてしまいました。

始めは軽い腰痛状態だったのですが、腰にベルトを巻くようにして無理をして仕事をしていました。

ですが、無理な体勢で腰をかばうようにしていた所、さらに症状が悪化をしてしまい、最終的には歩けなくなってしまいました。

その後、医者に通いましたが、絶対に安静が必要だと言われ、2週間ほど休む事になりました。凄く情けなかったですし、自分の体で無いような気がして落ち込みましたし、

会社にも迷惑を掛けてしまい申し訳ない気持ちで一杯でした。しばらく休んだ後に仕事に復帰したのですが、腰にはコルセットを巻いて、事前に保護をして、なるべく負担を掛けないようにしていました。

2ヶ月程違和感が続いたのですが、その後回復をしていつの間にか忘れていました。ですが、また急に腰が痛み出し、一瞬の内にその場から動けない痛みが襲って来ました。

我慢できないほどの痛みでしたので、急遽仕事を切り上げさせてもらい、また医者に駆け込む事になりました。

またそこから、2週間ほど休ませて頂いたのですが、もうこの仕事は出来ないと思いましたし、これだけ休んでいては首になる事も覚悟をしていました。

その後、回復をしたので勤務に就く事になりましたが、出社する前に会社の本部に出向き、迷惑を掛けれないので辞めさせてくださいと言いに行きました。

すると、がんばる気持ちがあれば絶対に切らないし、意欲のある者を追放したりしないので、がんばれ、と励ましの言葉を頂きました。凄く嬉しかったですし、見ていてくれたことに嬉しい気持ちになりました。

それから体を労わりながら自分の体をセーブすることを覚えたので、腰痛は起こる事無く順調に仕事をしていました。ですが、今度は別の箇所に不調を起こすようになり、体の限界を指摘されてしまいました。

昼間の炎天下の中で仕事をして帰ってくると、夜中に動悸が起こるようになったのです。心拍数が上がり鼓動が激しくなり、このまま死ぬのではないかと言う激しさです。

安静にするように心がけましたが、仕事をした夜は毎日起る様になりました。

あまりにも心配なので医者に駆け込み、仕事の内容も含めながら症状を話すと、昼間の激務が体に負担を掛けて寝る前になると症状が出るという事でした。

薬で治すことが出来ると思っていましたが、先生に言われた事は、今の仕事を辞めなさいと言われました。このままでは心臓に負担が掛かるので保障は無いとはっきり言われました。

仲間もいましたし、まだまだ続けたかったのですが、肉体労働は体に負担を掛けると思い7年働いた保線作業員を辞める事になりました。

今となっては思い出ですが、当時は一生懸命働いていたので、自分としては良くやったと思っています。仕事は、その時に自分のできる事を精一杯やれば良い事だと思いますし、悔いの無いようにすれば後々後悔も残り難いと思います。